詩吟の歴史と神風流

(1) 言葉の朗誦と詩吟

詩吟とは、漢詩や和歌を日本古来の節で吟詠することです。
日本古来の節の起源は、民衆の間に自然にうたわれたものであったと考えられていますが、『古事記』『日本書紀』の漢文的な記載物の「誦習」(節をつけて読むこと)にみることができます。(小島憲之『上代日本文学と中国文学』)
奈良時代末期には、文字によって目に訴える和歌(やまとうた)が発展し、節をつけて朗誦されました。

「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をも和らげ、猛き武士の心も慰むるは歌なり。」(『古今和歌集』仮名序)

和歌と同様、中国から日本に伝えられた漢詩は、日本人が採用した訓読法によって、その詩句に節がつけられ吟詠する朗詠が行われました。
記録として残されている資料には、「平安時代、唐詩の朗誦が都の暮闇の空に朗朗と消えていった。白拍子たちは優雅な装いで朗誦し、舞を舞い、芸を競った。」(小俣義子「吟心第四号」)とあります。今様とともに漢詩の朗誦も謡い物として流行しました。その節は、日本語の特徴を生かし、母音を伸ばしてふるわせて詠うものでした。簡素なものでしたが、古くから日本人が大事にしてきた「万の言の葉」を表現するための手段でした。
また、中国の『詩経』に「志の之くところ、言を永くするなり」とあるように、人は心が動かされたとき、声を長くひいて表現します。各句の長短の響きが詩を作り、「詩」とは「志」が表された心の作用であると古くから伝えられてきました。

このように伝統音楽の本流が言葉の「朗誦」にあることから、神風流では吟じるとき、「心の言の葉」を大事にしています。

 

(2) 学問・教養として発展

鎌倉時代、五山文学として儒教的色彩が濃くなった漢詩は、江戸時代になると、国学の勃興とともに、学問や精神修養として発展しました。武士の子弟の教育において、漢詩の素読とともに独特の節が付けられたことが、現代の詩吟を生み出したと言われています。しかし詩吟は、「人に聴かせるものではなく、その目的は人間の教育的育成にあり、自己修養にある」(「邦楽の友」第十五巻)と考えられ、幕末から明治維新にかけては、国を思う志士たちの魂の叫びが詩吟の真髄となりました。維新が成された明治期は詩吟が盛んであり、青年の士気を鼓舞するような文天祥、藤田東湖、吉田松陰、西郷南洲などの詩がよく吟じられていたようです。

こうした漢詩において、神風流では、先人たちの心を理解し、思想に依拠した悲憤慷慨調の節が付けられています。

 

(3)詩吟神風流の創流

詩吟に古典芸能としての音楽的な要素が加わったのは、琵琶との融合であると言われています。江戸時代およびそれ以後に出た近代琵琶は、勇ましさや悲壮さ、美しさといった情緒を描写する傾向にありました。
初代総元岩淵神風は、薩摩琵琶の名手でもありましたが、詩心を考慮し表現する朗吟指導の専門家として昭和元年詩吟神風流を創流しました。

「木村岳風君も岩淵神風君も30年近く前に私の郷里熊本で縁を結んだ仲で、木村君よりも岩淵君の方が少し前からの知り合いです。両君は年齢も一つ位しか差がなく、私も五つと上ではなかったかと思います。両人とも同様に、私から朗吟の専門家になることをすすめられて決意し、朗吟の技法と話を聴き、朗吟指導の専門家となりました。」(井上静穂『朗吟談義』)

詩吟一本にしぼり、長い間それまで詠われ吟じられていたものについて、学理を作り出しました。その学理は流儀の真髄として統一され、定義付けられました。そのようにして作曲された旋律を「節調」といいます。

神風流の「節調」は、前述の通り「心の言の葉」に依拠したものであり、悲憤慷慨調をはじめ感情的旋律から成り、多彩かつ音域が広いのが特徴です。それにより、漢詩や和歌の詩心や詩情を味わい深く表現できます。特に、「琵琶行」「長恨歌」といった長詩などに、吟界初めての吟法をみることができます。

 

初代岩淵神風は、昭和元年、神風流を創流しました。昭和9年、東京麹町区九段一口坂に教場を開き、詩吟個人教授の草分けとなりました。初代岩淵神風は本部教場の他、三越、深川市民館、海城中学、新宿予備校、新潟鉄工等、全国における出張指導も精力的に行い、全国に支部が作られ一大規模の流派となりました。神風流は昭和25年、吟界で戦後初めて全国規模の詩吟大会を日比谷公会堂で開催しました。以来、日比谷公会堂での毎年春秋の全国詩吟大会、九段会館での新年全国詩吟大会など、全国規模の大会が神風流の恒例行事として開催されてきました。

 

初代総元岩淵神風 明治34年4月、新潟県小千谷市に生まれる。大正時代に入り上京。錦心流琵琶榎本芝水門下となる。当時の詩吟は、琵琶の中でその一部分として吟じられているに過ぎなかったが、詩吟に魅せられ、研鑽の為全国行脚を行い、詩吟神風流を創始。同じ時期、詩吟の会を創った木村岳風氏と並び、近代吟詠の二大開祖と称せられた

 

(4) 詩吟神風流 初代からの継承

詩吟神風流創始55周年記念詩吟大会
詩吟神風流創始55周年記念詩吟大会(日比谷公会堂) 初代岩淵神風(右)と二代目岩淵神風(左)
昭和61年
二代目岩淵神風襲名(日比谷公会堂)
昭和61年 二代目岩淵神風襲名(日比谷公会堂)
 

 

昭和61年、初代総元の遺言により、副総元岩淵神木が二代目岩淵神風を襲名、詩吟神風流を継承しました。

昭和62年11月29日、赤坂プリンスホテル新館クリスタルパレスに於いて、二代目総元岩淵神風襲名披露祝賀会が開催されました。それに伴い、詩吟神風流総本部は総本部小金井道場に移りました。

※なお、平成25年、詩吟神風流総本部は、総本部小金井道場の老朽化により、現在の新宿区二十騎町に移りました。

二代目総元岩淵神風は、唐詩を中心に新たに100を超える符付けを行い、吟域も広がりました。詩吟神風流創始六十五周年に合わせて刊行した吟詠教本「続・古今名吟集」に、漢詩103編、和歌43首が収録されています。初代から継承した吟法に加え、「詩中の人となる」ことに重きをおくことにより「詩情を豊かに表現する」吟法へと発展しました。詩の数は限りなく多く、詩の中の言葉一つとっても作者や吟者の違いによって異なりますが、「詩中の人となる」ことによって、神風流の詩吟が多彩かつ繊細なものとなり、「伝統芸術」として評価されるようになりました。

詩吟神風流の「神風流機関紙」発行、最高段位である総元代範研修会の開催、四つの会の総会、旅行会など会員相互の親交も深まり、会員数は大幅に増加しました。

 

二代目総元岩淵神風 昭和9年7月、新潟県小千谷市に生まれる。幼少の頃より初代岩淵神風の詩吟を学ぶ。小千谷高校卒業後、大学進学のため上京し、九段の教場にて本格的に初代総元岩淵神風に師事。昭和38年7月、総元代範免状取得。詩吟神風流総本部神田道場を引き継ぐとともに、自らの小金井道場を開く。総本部道場の他、皇宮警察、三越、主婦の友社、産経学園、読売文化センター、八丁堀教室、鷺沼教室など、多数の教室で詩吟を指導。詩吟神風流昭和の会会長、理事長、詩吟神風流常任理事、副総元を経て、昭和61年、初代の遺言により、二代目岩淵神風を継承。

 

(5)近年の大会実績

●2015年11月2日・3日 創始九十周年記念詩吟大会 日比谷公会堂

●2016年10月30日 詩吟神風流全国詩吟大会 新宿文化センター大ホール

●2017年11月3日  詩吟神風流全国詩吟大会 有楽町よみうりホール

●2018年11月3日  詩吟神風流全国詩吟大会 有楽町よみうりホール

●2019年11月3日  詩吟神風流全国詩吟大会 有楽町よみうりホール

●2020年11月2日・3日 創始九十五周年記念詩吟大会 有楽町よみうりホール
※新型コロナウイルス感染症の拡大を考慮して中止

●2021年11月7日  創始九十五周年・三代目岩淵神風襲名記念詩吟大会 北とぴあさくらホール

●2022年11月5日  詩吟神風流全国詩吟大会 有楽町よみうりホール

●2023年11月3日  詩吟神風流全国詩吟大会 大手町日経ホール

 

格調高い日本語の運びと先人の心を詠むという詩吟本来の在り方を詩吟の要諦とし、詩吟神風流は初代から二代目岩淵神風、三代目岩淵神風に受け継がれ、日本の伝統芸術としての詩吟普及に努めています。企画構成吟をはじめ新たな企画を充実させ、全国詩吟大会を毎年欠かすことなく開催しています。会員数は現在3,000人程、創始100周年に向けて邁進しています。